冬の訪れとともに、筑波山に冬の鳥たちが来ているのではないかという期待を込めて、天候に恵まれたこの日に山頂を目指してきました。
麓の筑波山神社の参道では、未だ紅葉が見事に観察できました。後方に見えるのが筑波山ですが、朝方は、山頂付近には雲がかかっていました。
石段の下から見上げた神社の山門ですが、早くも謹賀新年の掲示板が取り付けられていました。
こちらが筑波神社の本殿ですが、大きな鈴が吊り下げられています。
神社からケーブルカーの駅方向に向かうと、このように見事な紅葉と黄葉が見られました。ここから御幸が原コースをたどって登山開始です。
汗をかいてケーブルカー山頂駅のある御幸が原にたどり着きました。とても冷え込んで、汗をかいた体には堪えましたが、景色は素晴らしいものでした。
男体山の周囲を巡る自然観察路を歩いてきたら、立身石というのがあったので、下から見上げるように撮影してみました。
これは、自然観察路の途中から下界の風景を撮影したものです。
男体山(871m)の山頂にある祠です。裏側から見るようになってしまいましたが、山頂の案内板がこんな場所にあったので、仕方ありません。
御幸が原に下ったところで、お昼を摂ることにしました。ガスバーナーに点火して、持参した豚汁にうどん玉を放り込んで温めたら、冷えた体には大変おいしいご馳走になりました。
広場では、蝦蟇の油売りが人を集めて口上を述べています。後方に見えるのが男体山です。
女体山へ向かう途中にあったガマ石です。大きなカエルが口を開いているように見えました。
こちらは、女体山の祠を撮影したものです。このすぐ後ろに山頂があるのですが、団体さんが集まって腰を下ろす場所もありませんでした。
女体山の山頂にあった三角点です。
女体山の山頂から見下ろす下界の風景です。
女体山(877m)の山頂脇に立っていた日本百名山の山名標です。
女体山を下り、つつじが丘へ向かう途中で、下界の景色が広がっている場所がありました。
白雲橋コースを下山し始めると、間もなくこの大仏岩がありました。
続いてこれは北斗岩です。看板のすぐ右側がトンネルになっていて、潜り抜けることができました。
これは、裏面大黒という名前が付いていた大きな岩です。大黒様が大きな袋を担いでいる姿を後ろ側から見たものであるとのことでした。
この岩の看板には、出船入船とあり、「元来「熊野の鳥居石」といわれ、船玉神を祀り、石の姿が出船と入船が並んでいるように見えるところから、呼ばれています。」と書かれていました。
この岩は、母の胎内めぐりと名付けられていました。大きな岩の下を潜り抜けられるようになっていました。
これは、高天原という看板が出ていました。右側の階段をのぼり、上にある祠に参拝した後、左側の岩の割れ目にある石段を下りてきました。
この岩は、弁慶の七戻と名付けられていました。看板には「古来[石門」といい、聖と俗を分ける門。頭上の岩が落ちそうで弁慶も七戻したといわれています。」と解説されていました。
弁慶の七戻を潜り抜けたところにあった立派な松の木です。
これは、白蛇弁天と名付けられていました。看板には「ここに白蛇が住むといわれ、白蛇を見たものは財をなすといわれています。」と解説されていました。
白雲橋コースを下ってきましたが、こんな感じの山道でした。
ここが白雲橋コースと迎場コースの分岐点です。左側の登山道を下ってきました。
ガマ公園の脇にある駐車場へ戻ってくると、時期外れのサクラの花が咲いていました。
10月桜とも冬桜とも言われているものだと思います。
このように、桜の木にはたくさんの花が咲いていました。山歩きの疲れを癒してくれる、素晴らしい眺めでした。